思い出の舞台

染井能舞台

横浜能舞台(旧・染井能舞台)

昭和30年代以降に入学された方々は、染井能舞台をご存知ですか。当時、駒込駅から染井通りに入ると、笛や鼓の音が聴こえて来ました。そこが松平邸の能舞台でした。
この舞台そもそもは明治8年、旧加賀藩主、前田斉泰公の自邸に建てられた能舞台で「根岸能舞台」と呼ばれました。加賀藩は能楽が大変盛んな藩で斉泰公も大層好んだそうですが、没後、舞台はほとんど使用されず放置されていました。
大正8年、松平賴壽伯(本郷学園創設者)は、舞台の荒廃を惜しみ、ご母堂千代子さんの隠居所に活かしたいと譲り受け染井の地に移築しました。その後、本郷学園の生徒は年に何回か能楽を鑑賞したそうです。

第二次大戦で東京の能舞台は被害を受け、残ったのはたったの4つ。その一つがわが染井能舞台です。染井は地の利も良く、昭和20年~30年頃までは、能再興の本拠地として全盛をきわめました。各流派の錚々たる方々が染井で舞ったそうです。戦後の能楽再興の殿堂として隆盛をきわめた染井能舞台でしたが、昭和30年代に入って舞台は老巧化も激しく、昭和40年解体されました。

その後、部材は宝生能楽堂の倉庫に保管されていましたが昭和54年部材が横浜市に寄贈され、平成8年部材の大部分を使い横浜能楽堂としてオープンしました。根岸能舞台、染井能舞台、横浜能楽堂と名前を変えた、かつての染井能舞台はこれからも横浜で生き続けます。